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 5時起床。
 6時から8時まで「あさのめ新聞」編集作業。
 9時、県議会入り。
 9時半から12時まで、政務調査費の会計処理。
 13時から、民主党・無所属の会の控室で開催された、LRT推進研究PT(プロジェクトチーム)の第1回会議に出席する。
LRTとは、Light Rail Transitのこと。
本格的ではない中小規模の鉄軌道全般を指すことが多いらしい。
けれども近年、一部の路線が低床式の新型の路面電車(トラム)の導入により注目されており、ドイツ・フランス・日本などでは、このような路線をライトレール交通と呼んだりすることもある。
 このLRTが埼玉を走る日を願い、私が呼びかけPTを立ち上げさせていただいた。
西村・埼玉県交通政策課長からのレクチャーがあり、基本認識を学習した。
高い速達性、定時性。たっぷりとした輸送力。自動車交通に比べ低炭素性。優れたデザイン性。
いいことずくめだが、何と言っても実現の可能性を導き出すには、導入空間(=敷地)の確保、需要、建設費などの課題クリアーが出てくる。
 新井県議、松本県議、木村県議も参加してくれた。
ますます勉強していこうと思う。
 
 
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2010.08.17 Tue l 未分類 l COM(0) l top ▲
 5時起床。
 7時34分、大宮駅から新幹線に岡県議、菅県議の3人で乗り込む。
 9時15分、燕三条駅着。
 10時から12時まで、三条市役所にて、福祉保健部健康推進課の田村直・食育推進室長から、米飯給食完全実施について説明を受ける。
 
 現在、文部科学省は学校給食で米飯の回数を増やすよう各地方自治体に呼びかけている。
けれども、平成元年を皮切りに三条市が学校給食へ地元産コシヒカリを導入したり、月1~2回の例外あるものの原則米飯給食を開始した頃は、国から補助金カットなどのペナルティーを与えられていたそうだ。
国の指導に従わないからこうなっていた。ということだが、三条市の理念は負けずにドンドン進んでいく。
平成16年には食育推進室が設置され、食に関わる行政サービスを一本化し、食育を横断的に進める専任部署が設置される。
驚くべきは食育という思想に国が本腰を入れ、内閣府に食育推進室を設置するのは、三条市より1年遅れてだ。

平成16年11月には、学校給食へ特別(=減農薬)栽培米の導入を開始。
平成19年11月には、学校給食へ七分つき米(=胚芽米)の導入を開始。
胚芽米とは胚芽をできるだけ残し、外皮はできるだけ除くように精白した米だ。ビタミンB1含量が白米よりかなり多い、B2・B6・E、必須アミノ酸、カルシウムなども含有している。
平成20年1月には、学校給食へ有機栽培米を導入を開始。
ついに、同年4月には、 三条市は学校給食での完全米飯給食を日本で初めて実現した。

 三条市の完全米飯給食は、全国大注目となっており、この間のムーブメントを一貫してリードしてきた、田村直・食育推進室長から様々な情熱あるお話しを伺えたことは、まったく貴重であった。

 当初の反対勢力にも話が及んだ。
市側が完全米飯給食への転換を宣言すると、「国際化の時代なのに」「毎日ご飯だと子どもがかわいそう」「残量が増える」などの声が、学校教職員から上がったそうだ。

 市内のパンや麺業者の反発も強かったそうだ。市職員は理解を求めて業者側に幾度も足を運び、廃業するような痛手を被る業者には雇用先をあっせんしたという。

 当時の市長に対し麺協同組合の人たちは「ご飯だけでは子どもが飽きる」と訴えたそう。
しかし市長は「学校給食は食育。子どもが国語や算数に飽きたと言ったらやめさせるのですか」と話したという。
 三条市は完全米食実施のため、年2600万円弱の補助金を出している。
これが高いのか、安いのか。

 何も変えたくないという典型的なダメな役人や、子どもに人間力をつけることに鈍感な教師などの無理解にめげず、理想主義を淡々と貫いてきた、田村直・食育推進室長は、実に謙虚で優しい方だった。
市長が味方についてくれたことも大きかったろう。



http://www.city.sanjo.niigata.jp/kenko/page00238.html

 「子どもの健康が大切。日本は瑞穂の国、日本人の体も米に合っている。パンや麺などの輸入小麦を食べるよりも、ご飯の方が体にいい」。
「パンなどの粉食は消化吸収が良いため、血糖値の急上昇につながり、インスリンの力が弱い日本人の体質には合わない」。
さらに、「給食は子どもたちの未来の健康への影響が大きい。腹持ちのいい米飯を食べて間食や夜食がなくなると、夕食や朝食がおいしくなる。その連鎖で、朝食欠食や肥満児が減った」。
「家族で食べる意義も見いだせる」。
データを次々見せていただき、説得ある説明を聞いた。
 
 米飯の色々な効果が待たれる。



 15時半、大宮着。
 16時から、資料整理。
 18時から、支援者と話し合い。

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2010.08.10 Tue l 未分類 l COM(1) l top ▲
 朝から厳しい暑さ。
 5時起床。
 6時半から、資料整理。
 10時から、県連で開催された、民主党県連常任委員会に出席する。常任委員でなくなった私が出席するのは実に久しぶり。武正代議士欠席ということで代理出席することになつた。
 東松山市長選挙の結果、政策調査会の開催についてなどの報告。
 各種選挙の公認・推薦について、公募登録案についてのなど協議。特に参議院選挙総括案をめぐっては白熱した議論が行われた。
 13時から、知人と食事。
 15時から、支援者廻り。
 19時から、政務調査費の会計処理。

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2010.08.07 Sat l 未分類 l COM(0) l top ▲
 9時半、議事堂前を決算委員会のメンバーで視察調査にバスで出発。

人と再会するとかつての様々なことが蘇える。
本を読み直すとやはりその時のことが蘇える。
決算委員会で、埼玉県立小児医療センターを視察調査した。
今日私は建物もやはり再訪するや否や強烈に過去を蘇えらせてくれることを知った。

灼熱の夏の光が小児医療センターを包んでいた。忘れ得ない建物だ。どこにいても何をしていても、
この地で静かに息づくようにしているこの建物をこれまで絶えず気にして生きてきた感がする。

 24年前の9月、この建物へ長男が搬送された。
私は当時28歳。駆け出しの市議で近所の子どもを集めて勉強を教えることも生業(なりわい)にしていた。
子どもが出来たことが本当に例えようもなく嬉しかった。
しかし、在胎25週で、出生予定日より100日も早いわが子の誕生だった。
心は暗澹とし混乱もしていた。

その時の思いを書いた文がある。
……………………………………………………
『小さな命』浅野目義英(上尾市議会議員)
尾崎行雄記念財団発行『世界と議会(1987.07)』から

早朝の清潔な風が吹いていた。
私と妻は、車で5分ばかりの産婦人科医院の前に立っていた。ここにやって来るまでの車中、妻はずっと前かがみであった。
 朝の5時、果たして出てきてくれるであろうかという不安があったが、ブザーを押すと、看護婦はすぐにドアを開けてくれた。
「昨夜から腹痛が断続的に襲ってきます」と妻は苦しげに話した。
医師は「もう子宮口が開いてしまっており、産まれてしまう」と私に話した。
「大丈夫でしょうか」
「わからない、できるだけやってみます」
かつて、高校の時の教師や、親友の母親が、映画のスローモーションのように緩やかに私に話してくれた流産という言葉が、突然頭の中をぐるぐる回った。
まだ在胎25週で、出生予定日より100日も早いわが子の誕生が近づいていた。
何もかもが混乱している頭の中で、極めて小さい子が生まれるという事実は冷徹に認識できた。
お願いだから、お願いだからと、私は心の中で唱え続けた。
鼻血が出る時のつんとした苦しみが口の奥に広がり、心音が高まり、胸が確実に苦しくなっていった。

 県立小児医療センターから、救急車に保育器を載せ、二人のドクターが駆け付け待機してくれた。
慌しいなかの9月24日朝7時3分、たった一声だけ甲高い産声をあげ、ドストエフスキーが「人生は苦痛であり人生は恐怖である」と言ったこの世にわが子は生まれてきた。
僅か780gの男の子だった。

 この子の運命と言うには余りに過酷すぎる小さい命を、何とか生かそうと、スタッフみんなが全ての努力をしてくれた。
呼吸器をつけ、高酸素濃度の保育器の中に入れられて、わが子は電子音を街中に響かせる車に乗せられ、あっと言う間に小児医療センターに運ばれていった。

大きな病院の中で、多分私は走っていた。
3階の未熟児新生児科集中治療室へは、なぜか迷うことなく着くことができた。保育器に横たえられた私の子は呼吸を荒くし、苦しみを顔に刻み込んでいた。「肺が未熟なので肺へ直接チューブで酸素を送っている。鼻からのチューブではミルクを送っている。黄疸が強いので光線を当てている。このように小さく生まれてしまった赤ちゃんは、多くの脳室内出血がみられるが調べていきたい」青年担当医はざっとこんなことを言った。

 何故こんな風になってしまったのだろうなどと思う時には、鉄路を跨ぐ陸橋の上から遠くを眺めたり、雑然とした夜の街を徘徊すれば、大抵のカタが付いたが、今度は絶対難しいように思えた。
意思の強そうな担当医は、慎重に言葉を選択しつつ、かつ噛み砕きながら私に子の症状を説明してくれた。助かるのかと、それだけが大声で聞きたかったが、「宜しくお願いします」としか私はいうことができなかった。

 退院してきた妻と私は、毎日子供を見にいった。「出生体重1500g未満を極小未熟児と言い、1000g未満を超未熟児と言う。肺や中枢神経系等各臓器の機能が極めて未熟なため、特に後者となるとその発育・発達の予後は満足できない」これが二人の持つ知識であった。どの本屋の書棚から育児書を取り出しても、殆ど助からないという表現がページを支配していた。

 出生11日目には605gに迄減少してしまった。足は大人の指の太さしかなく、頭は頭蓋骨そのままとなり、相変わらず呼吸は苦しげであった。保育器にへばりつき、その苦しみを代わってやりたいと何度思ったことであろうか。
「知人の産婦人科医は『将来の見込みもなく、自分の子なら私は助けない』と言っていました。先生、一体望みはあるのでしょうか」私は口ごもりながら担当医に質問した。
彼は明瞭とした声で「その医者の考えは間違っています」と言った。
妻と私はその時、この医師の全人格と信念しか、既に信じていいものはないと思った。

 43日目の11月6日、やっと1000gに到達した。
以後毎日約20gずつ増え、妻と私を喜ばせた。体が僅かずつ大きくなるにつれ、肺も力をつけていった。保育器の中の酸素濃度も徐々に下げられ、それはまた保育器から出ることの近いことも示していたが、遂に12月16日、保育器から出ることができた。
12月11日に2000gを超え、翌年1月7日に3000gを超え、2月4日には4000gを超えるなど、猛スピードで体重が増加していった。
しかしその間も、医師の予知の通り確認された脳室内出血には、腰椎穿刺が繰り返し施されて髄液が抜かれていたし、網膜症には、光凝固・冷凍窒素手術が熱心に行われていた。積極的な検査と治療は休むことなく続けられた。その度に、子は苦悶をし、また大きく元気になっていった。

前の日は風が強く吹いた。
153日目の2月23日、退院をした。この日のやって来ることは夢のようだった。
卒業式のように看護婦や医師たちの笑顔に見送られ、病院に別れを告げた。
手際のよい地域医療システムの組織化のお陰で、また、有能で情熱ある人々のお陰で、私の子は生をかろうじて手に入れることができたという感謝を、生涯忘れることはあるまいと思った。

 体重780g、身長33cm、胸囲18・7cm、鼻と口に細かいチューブを挿入され、目隠しをされ、手・足・頭に点滴の針を刺され、虫の息の子を見つめた時、これでもかというほどに胸が締めつけられたこと、ひたすら祈っていたのは、目が見えてくれ、耳よ聞えてくれ、体よ動いてくれでなはく、『生きてくれ、頑張ってくれ』であったことも思い起こしていた。

 なかった命を得ることのできた子として、自らのために手段を選ばぬといった人には決してならぬ、正義に充ちた献身的な人となるよう育てようと、妻と話しながら、代わり番こにわが子を抱いた。
……………………………………………………
 
 埼玉県立小児医療センターは、昭和58年に開設された。もうすぐ30年という節目を迎える。
長男のようにここで命が蘇った赤ちゃんは、少年から青年になっているケースも多いに違いない。
小児専門病院として未熟児・新生児に対する高度医療、一般医療機関では対応困難な小児の疾患診療を行う3次医療を担っている。
 21年度の延べ入院患者数約8万4千人。延べ診療外来患者数約14万人。
埼玉県内全域のみならず、千葉県からの患者のニーズにも応えている。
 これらの患者さんを68名の医師、329名の看護師、91名の医療技術者などが情熱を持ち心を込め対応している。
予算額約102億6200億円。
小さな灯(ともしび)のような子の命を消えさせないように、多くのメンバーが奮闘している。
私の家族のように小児医療センターに心から感謝をしている人々が、埼玉県内外にどんなにいることだろうか。
そして苦悩に陥りやすい子どもと親に、どんなに希望を与えていることだろうか。

 同センター中村病院長は「こどもたちの未来は私たちの未来。が理念」と語っていた。
脱帽しかない。





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2010.08.06 Fri l 未分類 l COM(0) l top ▲
 厳しい暑さ今日は一息つく。
 
 9時半から、民主党・無所属の会の団会議。議案や請願などに対する協議。
 10時から、少子高齢福祉社会対策特別委員会開かれる。
審査事項は、介護保険制度について。
執行部から説明を聞いていると、平成12年の介護保険制度創設以来、対象者(要介護認定者数、介護サービス利用者数)がかなりのスピードで増加していることがわかる。
要介護認定者数は現在19万1580人、介護サービス利用者数は現在15万3589人。
平成12年に比し前者は2・92倍、後者は4・04倍。
介護給付費は約2834億、同増加率約3倍、県負担金は約420億にまで上りつめている。
 
 確実にわが国は高齢社会となった。どこまでいくのか。まだスピードは衰えようとしていない。
連動して医療・介護の費用は確実に膨脹していく。地方自治体の財政を締め上げ、それは年々きついモノとなっている。
頭を絞ったダイナミックな歳出削減はガゼン必要となる。
しかし想像も出来ない高齢社会が出現している。
社会保障費の急増に対応できるように、ムダ歳出削減のスピードが追いつくのか。
対応できるように政治の枠組みを変えていくことが、我々の仕事だと今日は改めて強く感じた。

 15時から、政務調査費の会計処理。

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2010.08.02 Mon l 未分類 l COM(0) l top ▲
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